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浜松城周辺で家康公ゆかりの神社をめぐる・家康の散歩道(城内・城下ルート)後編

2022.11.30

三英傑のひとり・徳川家康公は、75年の生涯のうち青壮年期の17年間を浜松で過ごしました。そのため浜松城周辺には、今なお家康公ゆかりの地が残されています。

その中から12カ所を一筆書きで訪ね歩けるように結んだものが、「家康の散歩道」の「城内・城下ルート」です。今回ご案内するのは、このルートの浜松城から南側。リーフレットを忘れずに出発!

「家康の散歩道」web版リーフレットです(別のウインドウが開きます)▼

家康の散歩道リーフレット(web版)

大手通りを南下!

前回は遠江分器稲荷神社を参拝し浜松城へ戻ったので、今回のスタート地点は次のポイントとなる松尾神社まつのおじんじゃから。

…と言いたいところですが、浜松城から松尾神社までの間に浜松城関連スポットがあるので、まずはそこへ。

ちなみに第7ポイントの松尾神社から第12ポイントの家康公鎧掛松までの移動時間目安は、リーフレットによると約35分です。

前回の様子は、こちらをご覧下さいね▼

浜松城周辺で家康公ゆかりの地を歩く・家康の散歩道(城内・城下ルート)前編

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最初の立ち寄りポイントは、リーフレットの地図に載っていないスポット・浜松市役所の駐車場脇にある「大手通り」の石碑です。

ここから少し南下した場所に浜松城の入り口となる「大手門」が設けられていたことから、そう呼ばれるようになりました。

「浜松城二之丸跡」の石碑は、そのすぐそばに。この周辺一帯は浜松城の二の丸で、城主が暮らす御殿などがありました。

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ここから2つは、リーフレットの地図に記載されている浜松城関連スポットを。

上の写真は浜松市役所から南下し連尺の交差点脇に立っている、大手門跡を示す看板です。浜松城の正門となる大手門は、この辺りにありました。看板の足元には石碑も。

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連尺の交差点から南へ70メートルほど南下すると、高札場跡を示す看板が。

高札場とは、幕府から一般庶民に対して、法度や掟書等を知らせるために書いた木札を立てた場所のこと。木札はこの看板のような形で、人々の目に留まるような場所に掲げられていました。

第7ポイント・松尾神社

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高札場跡から松尾神社までは約600メートル、徒歩7分ほど。伝馬町交差点の次の交差点を右折し、少し進むと右側にあります。

創建は古く和銅年間(708~715年)と伝えられ、家康公が浜松城を増修築する1577(天正5)年までは浜松神社として、引間城下に鎮座していたとされています。
この増修築をきっかけに浜松城守護神の松尾社と合祀し、この地に移ったと伝えられています。

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かつては浜松城の祈願所として歴代城主の崇敬厚く、浜松藩と深い関係にありました。時間のある方は、境内社の天満宮や稲荷神社への参拝もどうぞ。

第8ポイント・金山かなやま神社

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松尾神社から金山かなやま神社までは北西方向へ約500メートル、徒歩7分ほど。途中で右左折を1回ずつします。

右折箇所は、松尾神社前の道を西進した先にある信号機のない交差点、または、その次の変形交差点(上の写真)です。「家康の散歩道」のリーフレットの地図では三叉路を右折するようになっているので、気をつけてくださいね。

筆者は変形交差点を右折しました。この場所の目印は幼稚園です。

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金山神社のご祭神は、鉱山や金属の神様・金山彦命かなやまひこのみこと金山姫命かなやまひめのみことです。

「金山」という名前から金運招福に、夫婦の神様であることから恋愛成就や良縁祈願などに、ご利益があるとされています。

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元々は浜松城内の三の丸にあたる場所へ祀られていましたが、城下町の形成にともない寛永年間(1624~1644年)に現在地へ移ったと云われています。

先述の大手門は三の丸南端に設けられていたんですよ。

第9ポイント・五社神社・諏訪神社

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金山神社から五社神社・諏訪神社までは約300メートル、徒歩4分ほど。栄町交差点まで戻り左折し、緩やかな坂を上ると左側に朱塗りの鳥居が現れます。

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五社神社・諏訪神社の創建やご祭神はそれぞれ異なります。

というのは両社とも秀忠公誕生にあたり産土神として崇敬されていましたが、元は別の場所にお祀りされていたから。

五社神社は浜松城の二の丸にあり、諏訪神社は引間城下の大手前に、さらにその前は中島一丁目の「六本松」にあったのです。

現在地へ遷座したのは五社神社が1580(天正8)年で、諏訪神社は1634(寛永11)年。両社は並んで建っていましたが、1960年代に両社が合祀され1つの神社となりました。

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境内は広くて日差したっぷり。筆者が参拝した日は、お宮参りの方たちをあちこちで見ることができました。もちろん参拝者の姿も。

第10ポイント・浜松秋葉神社

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五社神社・諏訪神社から浜松秋葉神社までは北西方向へ約700メートル、徒歩11分ほど。紺屋町と高町の交差点をそれぞれ左折し、高町交差点の次の三叉路を右折します。
「家康の散歩道」後半部分の中では、最も移動距離が長い区間です。

上の写真は高町交差点から南側の風景です。三叉路の目印は道路の左脇に立つ電柱に付けられたカーブミラー。ここを右折し直進すると、浜松秋葉神社の鳥居が正面に。

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浜松秋葉神社の創建は家康公が浜松城へ入城した1570(永禄13)年のこと。

浜松城の裏鬼門(西南)にあたるこの地へ、家康公の命により北遠の霊山秋葉山から勧請したと伝えられています。

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同神社の境内は家康公の家臣・山家三方衆やまがさんぽうしゅうの屋敷跡と推定されることから、鳥居の下にはそれを示す碑が立っています。

山家三方衆とは奥三河の有力国人である新城の奥平氏、長篠の菅沼氏、田峯だみねの菅沼氏です。なかでも作手城の奥平信昌は家康公からの信任が厚く、家康公長女の亀姫を正室としました。

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浜松秋葉神社の境内は落ち着いた雰囲気。社務所付近から拝殿まで延びる朱塗りの回廊が、さらに穏やかな佇まいを感じさせてくれます。雨天時には濡れることなく参拝できますね。

回廊は緩やかなスロープになっているので、でこぼこした参道が歩きにくい方はこちらを利用してみてはいかがでしょう。

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この浜松秋葉神社は徳川、武田、井伊の三家を結ぶ、旧武田家臣団の起請文奉納地。このことから「井伊の赤備え」発祥の地と云われています。

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参拝者用駐車場には山家三方衆のひとり奥平信昌邸跡の碑も。碑が立っているのは上の写真のほぼ中央、木が茂っているところです。

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第11ポイント・浜松城出丸跡

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浜松秋葉神社から浜松城出丸跡までは約650メートル、徒歩10分ほど。紺屋町交差点まで戻り左折し、浜松市立中央図書館を目指します。

「家康の散歩道」前編で浜松城の東側を歩いた時も感じましたが、浜松の町は意外と坂が多いんですよね。これは浜松城が三方原台地の先端部分に築城され、城下町は主にお城の南側から東側にかけて形成されたから。

浜松秋葉神社周辺は海抜30メートルですが、この辺りは20メートルほどなんです。

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浜松城出丸跡の石碑は、図書館入り口へ向かう階段下にあります。

この周辺は家康公が浜松城を築城した際、南側の防御施設として張り出すように出丸が造られた場所。家康公の伝記『武徳編年集成』に書かれている「鳥居曲輪とりいぐるわ」は、この出丸だとされています。

ここまで来れば、あとは浜松城から少し南側の道路に面している第12ポイント・家康公鎧掛松よろいかけまつだけです。浜松城出丸跡から家康公鎧掛松までは約250メートル、徒歩3分ほど。ほんの少しです。

…と言いたいところですが、筆者はリーフレットの地図に載っている「鳥居元忠屋敷跡推定地」が気になったので、ここへ立ち寄ることに。

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この碑は浜松城出丸跡の石碑後方にある階段を上り、図書館敷地西側の端に立っています。

そう、鳥居曲輪の鳥居とは、家康公の重臣で「三河武士の鑑」と称された鳥居元忠のこと。彼は家康公の浜松在城期に出丸の守備をしていたと考えられ、この辺りは彼の屋敷跡だったようです。

浜松城出丸跡の石碑付近は出丸の堀跡にあたり、海抜は約20メートル。出丸はそこから7~8メートルほど高く、現在図書館が建っている場所にありました。

いったいどんな出丸だったのか、想像するのも楽しいですね。

第12ポイント・家康公鎧掛松

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鳥居元忠屋敷跡推定地から家康公鎧掛松までは約180メートル、徒歩3分ほど。坂道を浜松城方向へ下り突き当りを右折します。

それは1572(元亀3)年のこと。三方ヶ原での戦いで家康公は武田軍に大敗を喫しました。家康公鎧掛松は浜松城へ逃げ戻った家康公が、脱いだ鎧を掛けた松だとされています。

と言っても、この松は3代目なんです。しかも初代の松があった場所はここではなくて、今より南の、現在は道路となっている場所だったようです。

「家康の散歩道」の「城内・城下ルート」後半部分は、ここまでです。お疲れさまでした。

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徳川家康公が浜松で過ごした17年の間は、まさに「どうする!?」の連続でした。三方ヶ原の戦いに、長篠・設楽原の戦い。本能寺の変も浜松在城期の出来事です。
正室・築山御前や嫡男・信康を失ったのも、この浜松にいた時期でした。

相手がどう出るのか分からない。

果たしてこの判断が正しいのかどうか。
どうすれば良いのか。

どうする? どうする? どうする!?

この浜松での「どうする!?」がなければ、天下統一は果たせなかったのかもしれません。家康公へ想いを馳せながら「家康の散歩道」を歩いてみませんか?

浜松城公園の公式サイト(外部リンク)

(文・写真:麻生のりこ)

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