本田宗一郎ものづくり伝承館
天才的“情熱家”の足跡
ものづくりに一生を捧げた男の
魂を見る
一代で世界的な自動車メ-カ-「ホンダ」を築きあげたエンジニア
大正のはじめ、浜松の北の浜松市天竜区山東(旧磐田郡光明村)に、好奇心のかたまりのような少年がいた。当時としては珍しかった自動車が村にやってくると夢中で後を追いかけ、飛行機ショ-があると聞けば20キロ先の会場まで大人用の自転車に三角乗りでかけつける。少年の名は、本田宗一郎。後にいくつもの発明を重ねて、一代で世界的な自動車メ-カ-『ホンダ』を築きあげた天才エンジニアである。
宗一郎氏を記念した伝承館は、彼の故郷に建っている。幼い頃の村の様子や少年時代のエピソ-ド、ものづくりをしたいという衝動から、自動車修理工をやめてピストンリングの製造に挑戦し、その過程で28の特許を取得し、日本のエジソンと称賛された『ピストンリング』開発の様子などが紹介されている。捨てられていた無線用の小型発電エンジンを自転車に取付けた通称『バタバタ』を発明し、一時は全国で7割のオートバイをつくる浜松の原点となった。それまでのオ-トバイの常識を破った『ス-パ-カブ』や、水冷式エンジンの開発物語。それらの展示ブ-スから立ち上がるのは、「成功は99%の失敗に支えられた1%だ」という宗一郎のものづくりの哲学であり、誰もが無理だといった夢に挑戦し続けた不屈の魂だ。天才技術者というより、天才的な“情熱家”としての宗一郎の姿が、そこにはある。
『私の手が語る』
入り口で迎えるのは宗一郎氏の大きな左手。カッタ-で切った、ハンマ-で潰した、キリが貫通したなど無数の傷跡が記されたパネルには、「いつも犠牲になる左手があるからこそやれる」という言葉が記されている。