浜松市楽器博物館
想いの数だけ、音色がある。
展示楽器数は、
東洋一の規模の千三百点以上!
楽器をめぐる時空の旅へ。
誰が考えたのか。形を見るだけでも面白い。
中に入ると、美しい調べが耳に飛び込んできた。それは定時に行われている展示解説「ギャラリートーク」で、このとき奏でられていたのは、現存する最も古いピアノをもとに新たに浜松で復元製作したもの。演奏者の女性によると、弦を弾いて音を出す鍵盤楽器『チェンバロ』をハンマ-で弦を叩く方式にして、音の強弱を自由につけられるようにした画期的な楽器が『ピアノ』。正式には『ピアノフォルテ』つまり小さな音も大きな音も出せるという意味で名付けられたそうだ。文字通り四角い『スクエア・ピアノ』、収納スペースがある『キャビネット・ピアノ』など、豊富なピアノコレクションからは、300年に渡るピアノの変遷を知ることができ、すべてを見終えるとすっかりピアノ通になる。
館内には、他にもありとあらゆる国、あらゆる年代の楽器が並ぶ。ステッキを兼ねたバイオリンや、ヘビのような管楽器は、一体誰が考えたのか。形だけ見ても実に面白くて見飽きない。どれも貴重なもので演奏はできないが、いくつかはヘッドホンで音色を聞くことができる。風で弦を振るわせる『エオリアン・ハープ』は、日本の風鈴を彷彿とさせる。自然の力で音を奏でるアイデアはアメリカの山麓にも生きていた。
世界的楽器ブランドが育った浜松の象徴。
国内初の公立楽器博物館は、「音楽のまち」を推進する浜松市の象徴としてつくられた。浜松市は、明治以降から西洋楽器メーカーが数多くあり「楽器のまち」としても知られている。代表的なメ-カ-「ヤマハ」と「カワイ」は両方とも優れた技術者が創業者となり発展した世界的な楽器ブランドだ。ヤマハの創始者“山葉寅楠”は、当時国産品はまだ少なく舶来品が中心で大変高価だった足踏みオルガンの生産販売を浜松の地で始めた。独学でオルガンの構造を解きあかし、音楽も勉強し、切磋琢磨して外国製に負けない性能のオルガンを作り出し、1900年には国産第一号のピアノを製作。寅楠のもとでピアノの重要部品である音を出すための打弦装置「アクション」づくりを担当したのがその後独立した河合小市だった。楽器博物館には、明治から昭和初期にかけてこれらのメーカーが作ったオルガンやピアノの実物が展示されている。また、現存する最古のピアノの復元品は河合楽器が製作したものだ。
展示楽器数は、東洋一の規模の千三百点以上。楽器の森を散策すると、地球上には、音色も演奏法も形も、実にさまざまな楽器があることに改めて驚かされる。そして、人間と音楽の根源的な結びつきを感じずにいられなくなってくる。人は、きっと表情や言葉だけでは感情を表現しきれず、つき動かされるように楽器をつくったのだろう。“音楽”は、いわば人のもうひとつの言葉なのだ。楽器をめぐる時空の旅は、そんなことも感じさせてくれる。
おすすめはギャラリートーク
毎日数回行われるギャラリートークは、ピアノをはじめとした鍵盤楽器や、世界各地の楽器をスタッフが10分ほど解説してくれます。ギャラリートークを通して隠された楽器の世界を探求してみてはいかがでしょうか?