長い戦国の世に終止符を打って天下を統一し、江戸時代の基礎を築いた家康公。
その偉大さを象徴する数多くの名言が、今なお語り継がれています。
「我もし濱松を去らば、
刀を踏み折りて武士を止むべし」
~『武徳編年集成』より ~
三方ヶ原の戦いの前、武田軍と一触即発の状態にあった家康公。
織田信長が岡崎城への退去を勧めると、「もし浜松を去るのならば、刀を踏み折って武士を止める」と断固拒否。信長に対して初めて反抗し、浜松に踏みとどまったといわれています。この逸話から家康公の浜松に対する熱い想いが感じられ、浜松は家康公が命をかけて守った街であることがわかります。
「水よく船を浮かべ、水よく船を覆す。
ただこのことを、よく心得られよ」
~『明良洪範続編』より ~
家康公が二代将軍・秀忠に度々言い聞かせたといわれる教訓。船を幕府、水を領民にたとえ、「水(領民)は船(幕府)を浮かべる力もあるが、簡単に転覆させることもできる。
この道理をよくわきまえておくように」という意味を含んでいます。常に庶民を重んじていた家康公の偉大さがうかがえる言葉です。
「我が宝は、我のために命を投げ出す家臣なり」
秀吉が諸大名を集めた際に、「皆が大切にしている宝物は何か」と問うと、他の大名たちはそれぞれが所有する宝について述べましたが、家康公は「私は片田舎の生まれで何も珍しいものは持っていません。しかし、私のためなら命を惜しまない者が五百騎ほどおります。これこそ家康の第一の宝だと思っています」と答えました。それを聞いた秀吉は、「そのような宝を私も欲しい」と述べたといわれています。
「主君への諌言は一番槍より勝る」
~『名将言行録』より ~
主人に対して諌言(目上の人の欠点や過失を指摘し、忠告すること)をする家来は、戦場で一番槍(戦場で最初に敵陣に槍を突き入れること)をつくよりもすぐれているという意味の言葉。家康公は普段から家来の意見をよく聞いた上でさまざまな決断を下していたため、三河以来の武士たちは、家康公に遠慮なく意見していたといわれています。
「大勢は勢ひをたのみ、
少数は一つの心に働く」
~『東照公遺訓(東照宮遺訓)』~
「大勢の集団だと数に頼ってしまい、それぞれに油断が生じて、かえって力を発揮できなくなる。一方、少数だと団結力が増し、力を発揮できる」という意。家康公が子ども時代に安倍川の河原で子どもたちの石合戦を観戦していた際、多くの見物人たちは三百人の隊が勝つと予測しましたが、家康公だけはその半分しかいない少数の隊が勝つと予測。「少勢の子どもたちは腹をくくり、隊列もよく整っている」という家康公の判断通り、結果は少勢の隊が勝利したという逸話もあります。
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」
~ 徳川家康の旗印 ~
平安中期の高僧・源信(恵心僧都)が著した「往生要集」に記された言葉で、「穢(けが)れたこの世を厭(いと)い、離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土を冀(こいねが)う」という意味があります。桶狭間の戦いで主君の今川義元が討たれ、大樹寺(愛知県岡崎市)に逃げ隠れた家康公は、松平家の墓前で自害しようとしました。そのとき、当時の住職・登誉上人がこの言葉を説いて諭すと、家康公は切腹を思いとどまったといわれています。以後、旗印として掲げられるようになりました。