天下人へと大出世を果たした徳川家康公、江戸幕府の要職に就いた歴々の浜松城主、そして、世界的企業を創出した実業家たち。
栄光の礎は、すべてこの浜松で築かれました。
徳川家康公は1570年に浜松城を築城し、29歳から45歳まで浜松で過ごしました。その17年間は、家康公にとって闘いと苦悩の絶えない試練の時代だったといえるでしょう。しかしその間、家康公は天下人となるために必要な精神力や統率力、判断力といった多くの能力を培いました。その後、浜松から駿府へ、そして江戸へと大出世を果たしたことからも、徳川二六〇年の礎は浜松城で築かれたといっても過言ではありません。
江戸時代に入ると、浜松城の歴代城主が幕府の要職に数多く登用され、いつしか浜松城は「出世城」と呼ばれるようになりました。浜松城には再任を含めて25代の城主が在城しましたが、「徳川実紀」などによれば、そのうち老中に6人、大阪城に2人、京都所司代に2人、寺社奉行に4人が登用されました。1841年に天保の改革を行なった老中・水野忠邦もその1人です。
近代に入ると、「やらまいか精神(何でもやってみようというチャレンジ精神)」に溢れた数多くの実業家を輩出。ヤマハ、カワイ、スズキ、ホンダ、浜松ホトニクスといった世界的な企業が次々と誕生しました。
このように、家康公の時代から現代に至るまで、出世の気概に満ちた浜松では、全市をあげて「出世の街 浜松」としての地域ブランドの確立に取り組んできました。そして、これからも「出世の街」として、浜松を訪れる皆様に元気とやる気をご提供します。