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「姫街道」、浜松や磐田、湖西にお住まいの方は聞いたことがあるだろう。
東海道の脇街道として磐田市見付宿から浜名湖の北を越えて愛知県の御油(ごゆ)宿まで続く街道として、古くから多くの往来があった街道だ。
本坂通(ほんざかみち)と呼ばれていた道が、いつからか「姫街道」と呼ばれるようになった。
知っているし、自動車で通ったことはあっても、歩いたことがある方はそう多くはないだろう。
江戸や明治の旅人気分になって地元を歩いてみるのも悪くないかな。
そんな理由で思い立ち、姫街道を歩いてみることにした。
1日で全て歩くのは無理なので、ひとまず東海道との分岐起点である「安間」から自宅のある「気賀」まで歩いてみることにした。
早朝7時。通勤や通学で賑わう浜松駅バスロータリーへやってきた。(バスで)
9番のりばから再度バスに乗り磐田駅方面へ約20分乗車。スタート地点の最寄りバス停「安間」に到着した。
バス停からすぐ南に旧東海道が通っており、本坂通(以下姫街道)安間起点がある。
昔はこの付近に東海道安間一里塚があり、姫街道の一里塚も兼ねていたそうだ。
その一里塚は現存しないが、姫街道沿いには一里塚がいくつも残るので、歩くペースを考える上で良い目印になることだろう。
朝8時。さっそくスタート。
起点付近は道幅が昔から変わらなく狭いので雰囲気があるが、あっという間に広くなる。
すぐに国道1号バイパスへとぶつかる。大きな幹線道路を大小多くの自動車が行き交う。姫街道や東海道を皆歩いて時代には考えられない光景だろうなと感じながら、これまた当時には無い歩道橋を渡り先へ進む。
私は「道標」の類を見るのが好きなので、せっかく古い街道を歩くならと
足元にも目を向け、古い道標も探すことにした。
往時の旅人の道しるべであった石へ刻まれた文字や地名に歴史を感じ、例え文字が読めなくても、欠けたり苔むしながら佇む石の姿に時代の流れを感じる。
浜松市内の街道に道標が多い理由が「半僧坊」である。北区引佐町奥山にある方広寺の境内にある半僧坊大権現は火伏せの神様として、古くから多くの信仰を集めた。その半僧坊詣でのために「半僧坊(や各地)へ行く道」を示した道標や、「半僧坊までの距離」を示す里程石(りていせき)が街道に多く置かれていた。
例えばこちらの石は里程石だ。道路脇に佇み高さは50センチほど。
写真では分かりづらいが「五里廿六町」と彫られている。一里は約4キロなので、この場所から奥山半僧坊まで約22.5キロである事を示している。
今回歩く範囲でも大きい物から小さい石の物まで20近くあるが、道路拡幅や区画整備などのために消失したり、行方不明になったりする物も多い。今ある里程石も、数年前から位置や形が変わってしまっている物を多く見かけた。
今の時代、必要な物という訳ではないが、街道や街道文化が花開いた証人として、いつまでも残っていてもらいたいものである。
1時間ほど歩いたところで最初の宿場「市野宿」へやってきた。
市野宿は東西に広がる宿場であったが、今は宿場の面影はほとんどない。しかし、道筋には当時の面影が残されている。
安間方面から市野宿へ入るには、カーブを2度曲がって入る。西へ抜ける時は南へ折れ、もう一度西へ折れて宿を抜ける。
このややこしい道筋を「枡形」といい、複雑な道筋で進入する外敵の勢いを弱める防備のために、宿場でよく用いられてきた。
市野宿ではその枡形が色濃く残っており、車で通る際には見通しに注意が必要だ。
市野宿を後にして15分ほど歩くと道が少しくねりながら「小池一里塚跡」を通過し、そこから20分ほどで馬込川へと至る。この辺りは小さな里程石がいくつかあるが、道路拡幅の影響か手元の資料と今ある場所が違ったり、周辺の環境が変わったりしていたため、見つけるのには苦労した。
馬込川を渡ると旧道へと入る。道の細さが往時を感じさせるが、ここから坂道が続く。
なんと途中に階段まであり、車で進むことは出来ない。
上り坂の途中。ちょうど新道と交差する場所に、道標を見つけた。
気賀・金指へ行く道(姫街道)と庄内へ行く道との分岐点に置かれた姫街道最古の道標で、天保三年(1832年)と彫られている。200年近くもこの場所で行き交う人々の道標となってきたのかと思うと、なんだかとてもありがたく感じる。
道標に力をもらい、坂道をもうひと上りする。
この坂を上りきると、しばらくはひたすらまっすぐの道を進むことになる。この台地は三方原台地と呼ばれ、昔は作物の育たない不毛の地とされていた。そのため民家や宿場もなくただひたすらまっすぐ道が敷かれ、気賀へと向かっていたのだ。今は開発が進み、大型店舗や民家が並ぶが、江戸や明治の頃は一面の原っぱだったそうだ。
同じような景色を眺めながらまっすぐ進み、追分(おいわけ)の一里塚を過ぎると大きな交差点「三方原追分」へと至る。ここで安間起点と浜松宿起点2つの姫街道が合流し、気賀方面へと続く。ここから北へ、奥山半僧坊や鳳来寺へ向かうのが金指街道である。この交差点の中央には2基の道標がある。信号待ちのついでに確認してみて欲しい。(交通量にはくれぐれも注意)
ここから先も相変わらずの直線道路となるが、今までとは少し趣が変わり、松並木が往時の風景を思い浮かばせてくれる。
姫街道の松並木は冬には寒風を防ぎ、夏には日陰になることから、街道沿いに多く植えられていた。多くは道路拡張や病害虫で失われたが、今も残り大切に保全されている。松並木や三方原馬鈴薯で有名なじゃがいも畑を横目に見ながら歩く。
途中、交通量の多い「今の姫街道」から分岐して、左側の道へ。
さらにその先にある秋葉燈籠を曲がる。
しばらく歩くと出会えるのが老ヶ谷一里塚だ。かつては塚付近に茶屋があり、晴れた日には富士山も望めたというが、今は展望が開けていない。
老ヶ谷一里塚から先に進む。ここからが個人的に気賀宿前の姫街道ハイライトだと思う。
上左の写真の、どこを歩くかお分かりだろうか?
写真のタンクの右側にある細い道が旧姫街道なのだ。
道はこんな感じになっている。
安間起点をスタートし、市街地の中を抜けてくるとあまりのギャップに驚かれるかと思う。
姫街道そのものが拡幅される事が多い中、この辺りは別の場所に道路を敷き直したため、本来の姫街道はそのまま残される事となった。
ご覧の通り、うっそうとし、虫も多い。雨の後は路面が濡れて滑りやすい。
軽装で出かけないことを強く勧める。
10分ほど歩けば人里(笑)
10分ほど歩けば人里(笑)に出る。
今は姫街道と呼ばれる道路を横断し、刑部(おさかべ)城址をくるっと回ると都田川へ出る。
昔はこの場所に橋があり、さらに昔は船で渡っていた。
ここまで旧道の通りに歩いてくると、山裾に沿う様に歩いているので、車で通ることを前提に作られた傾斜の大きな新道を歩くよりも身体への負担は小さいはずだ。
井伊谷川と都田川がちょうど落ち合う場所に掛かる落合橋を渡ればそこは気賀の宿。
気賀四つ角と呼ばれる交差点の場所に気賀関所が設置されていた。
今でも西側屋根だけ残っているため、ぜひ見学していただきたい。
気賀宿の中心、気賀関所で今回のウォーキングはゴールとしたい。
いかがだっただろうか?
姫街道という道を知っていて、日常的に通っていても、じっくりと向き合うことは多くないと思う。
しかし日常の生活の中に「道」があり、その道にはドラマがある。
遠くへ行くことも良いが身近なものに目を向けてみるのもいつもと違う発見があるかもしれない。
今回歩いたコースはこちらになる。
安間起点から気賀関所まで。私の記録では18.5km、5時間30分(休憩除く)であった。
昔で言えば4里半ほど歩いただろうか。
昔の人は1日8里から10里歩いたというから、気が遠くなる。
さて、姫街道はまだまだ続き、ここから先三ヶ日方面も面白い。
そちらも歩き。追々紹介したいと思う。
奥浜名湖ツーリズムセンターブログ:https://okuhamanakotourism.hamazo.tv/e9151849.html
参考資料:浜松市文化財ブックレット姫街道を歩く(2016年浜松市)
編集部・カメラマン:荘司哲
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