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  • 頭陀寺城跡・松下屋敷跡 ( ずだじじょうあと・まつしたやしきあと )

    井伊直政の家康への出仕に貢献した、実母の再婚相手の屋敷跡

    頭陀寺は、飛鳥時代に建立された古寺で、戦国時代は、今川氏の保護を受けて繁栄しました。
    門前には、寺侍だったと思われる松下氏の屋敷があり、一帯は、頭陀寺城とも呼ばれていました。この屋敷には、少年時代の豊巨秀吉がしばらく奉公していたという記録が残っています。
    松下氏は、直虎が女城主となって、幼少期を支えてきていた井伊家の跡取り虎松(後の井伊直政)とも深い関わりがあります。
    直虎が城主となった直後、今川氏は徳政令を出します。直虎はこれを一時凍結しますが、結局、発動せざるをえなくなり、虎松の父直親が今川氏に謀殺されることに加担した井伊家の家臣、小野和泉守に井伊谷城をのっとられてしまいました。
    直虎や直虎の母、虎松の実母は、龍潭寺の松岳院に隠れ暮らし、今川氏に命を狙われた8歳の虎松は、三河(愛知県)の鳳来寺に逃げました。しばらく後、虎松の実母が再婚したのが、頭陀寺城の松下源太郎でした。
    小野氏が井伊領を奪った直後に徳川家康が遠江に侵攻し、井伊谷城を摂取。小野和泉守は家康により磔に処されました。その後、井伊谷は武田信玄の軍に占領されますが、信玄が病死すると武田氏は衰退しました。
    そうした情勢下にあった1574年、父直親の13回忌が龍潭寺で行われ、虎松も鳳来寺からやってきました。このとき、直虎や南渓和尚らは、虎松を浜松城の家康に出仕させることを決め、母の再婚相手、松下源太郎に養子として預けます。
    1575年、松下氏のはからいもあって、凛々しい松下虎松は家康に謁見。小姓にとりたてられ、華々しい活躍を始めたのです。
    松下氏がいなければ、徳川四天王、井伊直政は生まれなかったかもしれません。

    アクセス 浜松市駅北口バスターミナル⑧のりばから掛塚方面行きのバスで約10分、「頭陀寺」下車、徒歩5分
    電話番号 053-452-1634(浜松市観光インフォメーションセンター)
    所在地 浜松市南区頭陀寺町(頭陀寺第一公園の一角)
    駐車場 なし
    バス駐車場 なし
    その他

    頭陀寺第一公園には屋敷跡の碑があり、すぐ近くに頭陀寺がある