Home > とれたて耳寄り情報 > 三ケ日『みかんの里資料館』
浜松市三ヶ日町は、言わずと知れたみかんの里。青島温州みかんについては、市町村別の生産額、面積、出荷量とも日本一を誇ります。そのおいしさとともに、全国に名を馳せている三ヶ日みかんですが、そうなるまでには、さまざまなドラマがあったことを、知る人は少ないのではないでしょうか。
昭和26年に建てられ、7年前に役割を終えて閉校となった三ヶ日町立西小学校大福寺分校の学舎をリニューアルしてつくられた『みかんの里資料館』は、三ヶ日みかんのすべてがわかるというだけではなく、昭和30年代のみかん農家のくらしなど、よき時代のノスタルジーを味わえるスポット。これからみかんがおいしくなる季節。小さな果実をめぐる、里山の歴史とドラマに触れに訪れてみませんか?
三ヶ日みかんのはじまり
いまからおよそ40年前の昭和35年。三ヶ日のみかん農家の人たちは、自分たちが手塩にかけて育てたみかんを、自分たちの手で販売しようと、『マルエム柑橘出荷組合』をたちあげました。それが、今日の三ヶ日みかんの始まりです。
それまでは、みかん山に値をつける『山買い』など、農家を訪ねてくる商人たちに販売のいっさいを委ねていました。しかし、それでは、商人ばかりが大きな利を手にするだけではなく、三ヶ日ならではのおいしさが市場に伝わらないという思いを同じくするみかん農家が、「自分たちの手で売ろう」と結集。自ら非常に厳しい規約を課し、強固な組織をつくったのです。それは当時、画期的なことでした。
全国のみかん産地で、農家が組織を作るなどということは考えられなかった時代。最初は商人たちの壊滅作戦や組合員とならなかった農家の激しい妨害を受けました。加えて、農家が直接みかんを持っていったところで、どの市場も相手にしてくれず、一時は解散寸前まで追いこまれました。

昔ながらの農機具やくらしの道具も

昭和30年代のみかん農家の居間を再現
「どうせ死ぬなら東京で」
翌36年の1月。三ヶ日みかんは、収穫してから『ロジ』と呼ばれる貯蔵室でしばらく寝かせることにより、甘みが増しておいしくなるみかん。組合員の農家たちの蔵には、ほどよく熟成したみかんがたくさんありました。しかし、どの市場も、「どこの馬の骨かわからないみかんは買えない」と、ケンもホロロの扱い。組合員たちは行き詰まっていました。『三ヶ日ブランド』の確立を目指して立ち上がったのに、売れないからといって1年もたたずに元に戻るわけには行きません。そんなことをするくらいなら、腹を切るというくらいの覚悟で立ち上げた組合です。
思いあぐねた人々は、「どうせ死ぬなら東京で死のう」と決意。無謀な考えでしたが、これが最後の頼みの綱。ダメなら腹を切る覚悟で東京の神田の市場に売り込みにでかけたところ、なんと「こんなにおいしいみかんはない」との評価。起死回生の東京市場進出を果たし、以来「貯蔵みかんは三ヶ日にかぎる」という評判が全国に広がったのでした。
三ヶ日町に、みかんの苗が植えられたのは、江戸時代。明治の中頃になると、資産家を中心にみかん栽培が盛んになりますが、その後一度養蚕業が隆盛し、みかん畑は桑畑に。昭和初期になると再びみかん畑が広がりますが、戦時中は、食料の栽培のためにその2割が芋や麦畑になりました。そして戦後、農家の人々は、国有地を払い下げてもらい、みかん畑を造成。三ヶ日町は本格的にみかん産地として歩み始めます。先人たちの努力なしには、今はなかった三ヶ日みかん。その歴史の中でも、マルエム柑橘出荷組合の設立と東京市場での成功は、最大のエポックです。同年には、全国で初めてのオートメーション化された選果場をつくり、みかん農家による組織的な販売が確立されたのです。
木製のみかんの選果機
以前は偽造もされた三ケ日みかんのダンボール
昭和30年代のノスタルジー
こうしたみかんの里に刻まれた、歴史と人間ドラマを知ることができるのが、大福寺地内にあった廃校、三ケ日小大福寺分校の校舎を利用した、「みかんの里資料館」です。
教室がふたつしかない、小さな平屋の校舎。木の床や腰壁、木枠の窓など、誰もがあたたかさや懐かしさを感じる教室には、机や椅子がないかわりに、中央に水耕栽培のみかんの木が枝を伸ばし、その木を取り囲むように、さまざまな展示物が並んでいます。

水耕栽培のみかんの木が中央に

廊下にも様々な展示が
三ヶ日みかんの歴史がつづられた年表は、教室の後ろの壁に。その他にも、みかんづくりの工程がわかる写真つきパネルなどがずらり。しかし、博物館や資料館という名から想像される堅苦しさは、ここにはありません。
昔ながらの教室の雰囲気とともに、良き時代のノスタルジーを味わわせてくれるのが、木の選果機など昔ながらの農機具や、みかん農家の居間など当時の暮らしを再現した展示。とくに昭和30年代など、選果場には光センサーや最新のコンピュータ機器などのハイテク技術が導入され、最盛期には1日500〜600トンが出荷される日本一の産地となった現在の三ヶ日とを比較しながら、みかんの里の今昔がわかるようになっているのです。

みかんづくりの工程をしめしたパネル

三ケ日の歴史は日本のみかんづくりの歴史です
『みかんサミット』を開催
「みかんの里資料館」は、静岡県の田園空間整備事業の補助を受け、地域活性化事業の一環として、平成18年の10月にオープンしました。廃校を利用することも含め、展示企画には地元農家の人々の意見が反映されており、単なる資料館ではなく、三ヶ日町のみかんづくりについての情報発信基地となっています。
運営にあたっているのは、地域の住民16名と、東京農業大学などで講師をつとめる果樹栽培農業アドバイザーの清水理氏を委員長とした、運営企画グループです。
スタッフは、今年の春から、一般の方々を対象に、『みかん山大学校』も開校。春には、畑の中でお茶にみかんの花をうかべて、その香りを楽しんでもらうお茶会を開催。夏には、摘果してしまう小さな実をつかったみかんジュースづくり体験を。そして、秋にはみかん狩りと選果場の見学会を開催し、好評を得ています。
そして、来年の1月頃に予定しているのが、メインイベントの『みかんサミット』。三ヶ日みかんを食べながら、こたつで、みかん農家と消費者の人たちが、それぞれ聞いて欲しいことや教えて欲しいことをぶつけあってもらうという、ユニークなイベント。「静かな施設ではなく、ここからいろいろなものを発信し、投げかけていく動的な施設にしたい」(清水さん)というがスタッフの思いです。
| [ 所在地 ] | 浜松市北区三ヶ日町福町70の20 |
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| [ TEL ] | 053-524-3751 |

















