かつて日本初の鮎の人工孵化と飼育のプロジェクトの一員として活躍し、現在は天竜川漁協の参事をつとめている井口明さんが今月の元気人。
天竜川にかかる船明ダム。翡翠色の水は穏やかでまるで湖のようですが、その穏やかな表情とはうらはらに、いま天竜川の生物はさまざまな危機にさらされ、その数は減少し続けています。船明ダムのほとりにある施設で、井口さんはいまも鮎やサツキマスの稚魚を育て放流するなど、豊かな天竜川を取り戻すためにさまざまな活動を行い尽力しています。
河川の漁協の仕事は、川の中の魚を管理することです。以前は天竜川漁協も魚を放流し、遊魚者(釣り人)から遊魚料をもらうなどの活動だけで十分に成り立っていました。しかし、50年前に佐久間ダム、続いて秋葉ダム、そして昭和52年に船明ダムができると、そのたびごとに天竜川の魚、生物は減少。いま魚の管理することは、すなわち環境問題と取り組むことになっています。

佐久間ダムの様子。右側の水の色が本来の川の色
私が天竜川に来たのは約40年前ですが、いまの10倍の数の魚がいました。表現は悪いけど、鮎は川のウジだなどと言われていたんですよ。獲っても獲ってもわいてくると。春、川に目をやると鮎が50センチくらいの幅で途切れなくのぼっていくのが見えたし、川をホウキではけばいくらでも鮎が獲れた。石を投げれば必ず魚が浮きました。釣り人も、解禁となれば河口からびっしり途切れないで立っていました。どこでも釣れましたからね。
いまは鮎も釣り人も、本当に少なくなってしまいました。漁協は入漁料を得て活動していますから、その入漁料の収入を増やすためには当然魚を増やさないといけません。
でも、どの河川の漁協も同じだと思いますが、もはや入漁料がどうのこうのという問題ではないんです。川の環境をどう取り戻すかということが最重要課題になっている。
私にとっても大事なのは、漁協が存続するかしないかではありません。魚や生き物がいる川、つまり本来の川を存続させるということです。魚がいなくなったら、川はただの水路になってしまう。天竜川がそうならないようにするのが私たちの仕事。ですから、漁協の活動は、以前に比べると非常に幅広くなっているんですよ。

二俣川の滝をのぼっていく鮎
ダムができると川は短くなってしまいます。そうすると、川の生物に大きな影響を与えます。天竜川に魚がいるということは、そこだけで生活しているというわけではないんです。
たとえは鮎は川で孵化して海に下りある程度大きくなって川に上り、さらに生育して卵を産む。うなぎも海で育って川で成長して海で卵を産む。いまや幻の魚といわれるサツキマスは海で育って川で卵を産んで、稚魚がちょっと大きくなったところで海に戻っていく。そういうように、川の魚のほとんどが、海と行ったり来たりしています。
川をその一部とする大きな自然の舞台のなかで、命がダイナミズムに息づいているわけです。
しかし、ダムができて舞台か寸断されてしまった結果、鮎やサツキマスが卵を産みに上流へ上りたくても上れなくなってしまった。一応ダムには魚道という通り道がつくってありますが、そこを通って上って卵を産んでも今度は稚魚が下れない。
水の濁り、汚れも進んでいます。河口の川床には汚泥がたまっています。これもダムが原因のひとつだと言われています。また、佐久間ダムは土砂がたまって開通当時の3分の2しか貯水できなくなっています。逆に遠州浜は海岸浸食で困っている。ダムがせき止めて川が本来運んでくれるはずの土を運んでくれませんから。
同じ理由で、船明あたりの川床も非常に低くなっています。立てたときは水中に隠れていた鉄塔のコンクリートの土台がいまはが全部出ています。6メートルくらい低くなっているんです。本当にいろいろな問題かあるわけですけど、それが全部、結局川の生物に影響しているんです。
天竜川ではいま、国による『天竜川ダム再編事業』が行われようとしており、調査段階に入っています。ダムにたまってしまう土砂を下に送って、海岸浸食をはじめとする問題に対処する計画で、予算的にも非常に大きなプロジェクトです。

天竜川漁協を上からみた写真。養殖池がみえます。
ダム再編事業は、天竜川をテストケースとして行われます。ダムを壊すのではなく穴をあけて、ダムに堆積している土砂を流して行くという計画です。
全国のダムのある河川は、どこも天竜川と同じ問題を抱えています。しかし、そこにはいろいろな意見があります。海岸の浸食は上から土砂が供給されないのが主な原因ではなく、海流か変わったせいだという考えもある。でも、学校でも習いますよね。平野はどうしてできたのかというと、川から土砂が運ばれて、それがだんだん広がって人が住むようになった。安倍川では、砂利採集をやめて20年たって、海岸が戻ってきている。川が運ぶ土砂が海岸をつくるということは、その例を待つまでもなく明白なことです。
先程、川床が低くなっていると言いましたが、川は身を削って土砂を流しているから。供給されるものがないのに、川底を自ら削っている。だから、どんどん川床が下がっているんです。
このままだと、さらに川は身を削らなくてはならない。また、ダムに土砂がたまるということは、ダムの機能が損なわれているということで、洪水の危険性も高まっています。そういう問題を解決するための対策が、ダム再編事業です。
ダム再編事業を行って、鮎などの川の生物がどうなるのか。果たして川がよくなるのか、それとも悪くなるのかはまだわかりません。見極めないといけないと思います。
ダムに穴をあけて通すのは、直径1ミリにも満たない細かい砂です。“鮎を釣るには石を釣れ”というように、鮎は石についたコケを食べますが、その石は流れないわけです。河口は、いまも “シルト”と呼ばれるパウダー状の砂がまるでコンクリートのように堅くなって、めっきり少なくなってしまった石と石の間を埋めているという状態です。田んぼみたいな感じですね。ヘドロのようになっているところもあって、昔はたくさんいたシジミも、まったくいなくなりました。『河原』の景観もなくなりましたね。
ダム再編事業は、そういう問題まで解決できるかどうか。いろいろ案を練っている段階だと聞きますが、私は個人的には心配する気持ちの方が大きいですね。

私たち漁協からすれば、ダムはない方がいいのは明らかです。でも、そうかといってダムをなくしてしまえばいいかというと、そうはいかない。ダムは、利水、治水、発電という役割を果たしています。それと環境の問題と、どこで線をひいてどう両立していくかということに難しさがあります。
電力に関わる人はダムがないといま供給されている電気がストップしてしまうと考えます。国は、一番に洪水の問題を考えます。我々は、いわば魚の立場で考える。ダムの機能を保とうとする人々は、環境に対する影響はそんなにはないのではないかという感覚で話しをする。我々はダムの影響が非常に大きいということを話す。立場によっていろいろな意見があります。それぞれ視点が違っているし、それぞれの立場を守ろうという発言をします。
いままではそれでもよかったかも知れません。しかし、これからはそうはいかないでしょう。電気の問題も、国土開発も、温暖化など地球規模の環境問題につながっています。そして、川の環境破壊は、深刻な状況になっているからです。国のプロジェクトなどに比べると、微々たる規模ですが、我々が、たとえば鮎が毎年どれくらい卵を産みどれくらいが孵化して、稚魚がどれくらい海に下り、戻ってくるのかなど、天竜川の自然についてさまざまな実態調査をしているのは、現実をみんなに知ってもらいたいからです。
立場だけを考えて問題を見て見ぬふりをするのではなく、川に関わる全員が現実をしっかりと直視して、立場ではなくその現実を判断の優先材料にして何が優先されるのか、何が必要かを決めていかなければいけないと思います。
天竜漁協では、天然鮎を取り戻すシンポジウムや、大学の教授などその道の権威を招き、天竜川やダムのあり方について考える講演会も企画しています。また、地域の学校の子供たちに、天竜川の生物とふれあってもらう『ガサガサ探検隊』も実施。井口さんたちの案内で川遊びをした子供たちから届く感想文には、「楽しかった」「おもしろかった」「もっとやりたい」という言葉が並んでいます。
このまま川が壊れていって、川に生物がまったくいなくなったらどうなるでしょう。鮎やうなぎや、水性昆虫や、植物。何千、何万の命の営みがなくなったら、それはもう川ではありません。遊びで釣る魚がいなくなっても別にたいしたことではないというかもしれません。電気が使えなくなることに比べたら微々たることだという人も多いでしょう。でも、私はそれは大きな間違いだと思います。
まず、子供たちはどうなるのでしょう。川はとても身近な自然です。川というところに行けば、魚がいて、小さな生き物がたくさんいる。川遊びをすることで、子供たちは命の大切さを感じたり、自然のダイナミズムを知ることができます。それは人間にとって最も大切なことだと思うんですよ。
電気は、いまや生活になくてはならないものですよね。電気代を払うしお金に換算されるということで、ある意味目に見えるものです。洪水が起きれば人命や財産が失われますから、治水の大切さは説明するまでもないことでしょう。でも、自然があるがままの姿でそばにある大事さというものは、なかなか我々は気がつかないものです。目めに見えないし、お金に換算することもできないけれど、身近に命とふれあう場がない、殺伐とした世界で育った子供たちがどう成長していくのかということを考えると、私は大きな財産を失うことになると思います。
地球の自然は、人類にたくされています。いかに守るかは、人間の責任であり使命です。しかし、いまは経済が優先で、各々の利害、立場が優先されている。無難な道、とりあえず、苦情が出ない道をとっている。目にみえる利益が出る道を選ぶ。そうなると、一番大事なものが見失われてしまうのではないか。私は、そのことがいま一番心配なんです。だから、講演会もシポジウムも、できるだけ多くの人に天竜川の実態を知っていただいて、川を守るという共通の立場で物事を考えたいという思いで実施しているんです。

『ガサガサ探検隊』
ガサガサ探検隊での井口さん
我々が子供の頃は他に遊びがなかったから、しょっちゅう川にいって魚をとったり、昆虫採集をしたりしていましたけど、いまの子供さんはそういうことをやっていないんですね。本当は親御さんが川遊びに連れて行ってあげてほしいんですけど、なかなか難しいようなので、かわりに私たちがお手伝いしようということでやっているのが、『ガサガサ探検隊』です。漁協で育てた鮎を春にサツキマスを秋に放流していますが、そのときも学校に呼びかけて子供たちに来てもらっています。本当は魚にとってはかわいそうなんですが、1度子供たちに魚を持ってもらってから放してやる。生きた鮎とはどういう感触なのかを知ってもらう。それはまた、命というものはどういう感触なのかを体験してもらうということでもあるんです。
いま、子供がすぐにキレて友達を傷つけたり、親を殺したりという信じられない事件が多発しています。いまの子供たちは、情緒の発育が難しい。命は大事だということは、さんざん言われるから頭ではわかっているかもしれないけれど、命とはどういうものかは体験していない。小さな魚が手の中で動く。そのうごめく命は我々の命とひとしい命だということを、感覚として知ってもらうきっかけを与えたいんですよ。我々は子供のときの川遊びで、そういうことを自然に学んだと思いますから。
井口さんは静岡市の生まれ。昭和43年に竜洋町にできた水産庁の鮎パイロット事業所の所員となったのが天竜川との出会いでした。焼津の水産高校を出たときは瀬戸内海の栽培漁業センターへの赴任が決まっており、国家公務員の資格も取得し、あとは行くだったのが、センターの完成が遅れたために進路は方向転換。三重県の民間の養殖業者のもとで真珠やクロダイを手がけ、しばらくして静岡に戻ったときに水産庁の話が。全国内水連魚連の職員の身分で、日本で初めての鮎の人工孵化と飼育に携わることに。井口さんは、鮎の人工孵化のパンオニアのひとりでもあるのです。

養殖池のお掃除
小さいときから、私は海が好きだったんですよ。街の真ん中で育ったんですが、子供の頃は雨が降ろうが槍が降ろうが学校が終われば川か海に行っていました。魚とりが好きでしたね。いまでも漁師になりたいんですよ。でも、学生の頃は目が悪いと漁師になれなかった。
仕方がないから養殖でもやろうと、水産高校の増殖科に入ったんです。本当は海で仕事をしたいんですけど、なんだか知らないけど、だんだん山の中に入ってきてしまっています(笑)。
鮎とのつきあいも、天竜川とのつきあいも長いですね。竜洋町の施設に赴任した当時、すでに全国の河川で鮎の減少がはじまっていました。一時はどこの川も、琵琶湖から鮎の稚魚を調達して放流していたんです。ところが、琵琶湖の業者の売り手市場でいろいろな問題がおきたり、琵琶湖の鮎も減っていったことから、水産庁が人工的に鮎をつくろうと研究施設をつくった。そこにたまたま私が入ったわけです。

これが鮎のミルク『シオミズツボワムシ』
その頃は、うなぎの人工孵化と飼育の研究開発もはじまって、成功するのは鮎が先かうなぎが先かといわれました。最初は手さぐりです。まさに暗中模索でしたね。
鮎は石に卵を産みます。その卵から孵化した鮎が最初に食べるのが、『シオミズツボワムシ』というプランクトン。いわば鮎のミルクですね。まずは、このプランクトンを培養しなければいけないのですが、なかなかうまくいかない。鶏糞を池にまいて水づくりをして、ワムシの餌であるクロレラをわかして培養を試みたりしましたが、1CCのなかに2匹しかつくれかったりと、苦労しました。

鮎の卵
孵化したばかりの鮎の稚魚
私は20歳そこそこの青二才でしたが、最初の頃は「おまえは1匹5万円の鮎をつくっている」なんていわれましたよ(笑)。そこで14年間仕事をしましたが、だんだん技術が確立されて、神奈川県や岐阜県に私たちの技術をベースにした新たな改良施設ができたりして、本当に多くの人の努力によって鮎の人工孵化・飼育が完全にできるようになったんです。竜洋町の施設は昭和58年に事業を終え、そのときに私は、天竜川の鮎を増やすためにここに来たんです。まあ、バカのひとつ覚えでここまで来たわけです(笑)。
いまは漁協のなかに管理宿舎をつくってもらって、そこに住んでいます。四六時中ここにいます。竜洋町でも施設のなかで暮らしていました。そうしないと鮎は育てられないんです。
技術が確率されたといっても、いまでも鮎を育てる苦労はありますよ。
昔はタマゴを川から採取して来たけど、いまは数が減っているので、自分たちで親もつくります。秋に卵を生ませて孵化させる。孵化したばかりの稚魚は透明で目玉ばかりが大きくて、体長は4〜5ミリ。これに、クロレラとイースト菌を使って培養したシオミズツボワムシをあたえます。ツボワムシの体長は0.2ミリほど。なかなかかわいいですよ。これだけ見ていても飽きない(笑)。ひと池で100〜200万匹の鮎を孵化させるから、いまは1日50億匹というペースでワムシを培養しています。鮎の稚魚は1日200匹ワムシを食べるんですよ。鮎は翌年の春になると、だいたい体長が5〜7センチくらいになります。自然の鮎もそれくらいになって海から川に上ってきますから、そこで放流します。その間も苦労は耐えませんよ。鮎は海で大きくなりますから、養殖池には人工海水を入れ、循環濾過で水質を管理し、ボイラーで水温の管理をします。
鮎は元気がいいと、みんな同じ方向をむいて泳ぎます。調子が悪いとバラバラに泳ぐ。これで体調の善し悪しがわかります。難しいのは、水の管理。せっかく大きくなっても水質が悪くて、ひと晩で全部死んでしまうときもあります。冷水病という、最近外国から入ってきた病気の被害も深刻です。なかなか思うように育たないという状況が、最近は多いですね。

鮎を放流する子供たち
天竜川には、親魚も放流しています。卵を持たせた状態で、産卵場所に放してあげるんです。漁協は、釣るための魚を放流するだけでいいんですが、それでは川は戻らないですから。そういうことに今後も力を入れていきたいと思っています。
いまは、小さな魚をなかなかさわれない子も多いですね。鮎の放流のときも最初は怖がる子が多い。でも、慣れてくると、「もっとやらせて」と目を輝かせるんです。その顔をみることが、私のやりがいにつながっているんですよ。

















