お寺の“住職”というのはみなさん知っているでしょうけど、“執事”というのは聞いたことがないのではないでしょうか。簡単に言うと、お寺の観光に関する企画、お寺の渉外関係の部分を任されているという感じですね。お葬式や法事なと、仏事に関わることは直接はお世話しませんが、その他のこと、このお寺にいかにみなさまに来ていただくか、いかにみなさんに喜んでいただける場所にするか、演出やPRを担当していると言えば、おわかりいただけるでしょうか。
私は、このお寺で育ったんです。生まれは東京ですが、両親を空襲で亡くして、8歳のときにここに預けられて出家しました。それからはお経を習ったり、水をくんだり、薪をわったり、畑をたがやしたりして修行して、僧名もいただきました。
昔は、周辺の田んぼは見渡す限り龍潭寺のものでした。しかし、農地改革で田んぼをすべて失って、お寺の経営は苦しくなりました。檀家も少ないし、自分たちで食べないといけないというので、馬車馬みたいに働きました。でも、現金収入がない。兄弟子のいまの住職が、このお寺をやっていくということでしたから、私は外から支えになればという気持ちもあって、就職したんです。まあ、どうも性格的にお寺でおとなしくしていることができない人間だったというのもあるんでしょうがねえ(笑)。
地元の学校を卒業したあと、ひょんなことで、国鉄の入社試験を受けたら受かってしまって、国鉄マンになりました。赤い帽子の駅長さんを目指していたら、適正検査の結果、機関士になりました。思ってもいないことでした。
そのあと、少し組合関係の仕事や静岡県の協同組合の理事長などもやって、65歳のときにこの寺に戻ってきて、執事になったんです。それが花博開催の前の年。これからは奥浜名湖の観光にお役に立てればと思い、協議会を立ち上げました。さいわい、国鉄や静岡県の協同組合の時に築かせていただいた人脈もあった。それが今、支えになっています。ありがたいことです。
お寺というのは、日常的に人に来ていただくところだと、私は思っています。仏事、葬式のためだけにお寺があるのではないんです。生きている人が、心をきれいにする場所、生きていく上で必要な場所なんです。江戸時代には寺子屋といって、読み書きそろばんをお寺が教えた。そうやって、お寺が人をつくってきた。この地域は、歴史と文化の宝庫ですから、いいお寺さんがたくさんあります。そこにぜひ、足を運んでいただきたいし、運んでいただくために、これから努力したいと思います。
このあいだお寺の周りを掃除しながら、私は、おいでになった方にうかがったんです。「なぜ、お寺に来られたのですか」と。そうしたら、「お寺さんの自然の庭の美しさに癒される」と。いろいろな方のお話を聞いて感じるのは、結局、人は寺の庭に代表されるような変わらないものに安らぎを覚えるのではないかということですね。世の中は激しく変化しています。そのなかで庭石は、旧態然として、守り続けている。そういうものに対する憧れ、癒しを求める心が、人間の芯のなかにあるのだと思います。新しい浜松のなかで、ここは奥座敷のようなところです。人々の心を安らぎと癒しでおもてなしする奥座敷としての魅力を磨いていきたいですね。
そういえば、みそまんもずっと変わらない素朴な庶民の味ですよね。時代に対するノスタルジアだけではなく、みそまんをおいしいと感じるなかにも、癒しの原点のようなものがあるのではないでしょうか。そういうものを、私は大事にしてあげたいと思っています。 |