浜松元気人

『奥浜名湖みそまん物語』を企画した武藤佑吉さん[奥浜名湖観光連絡協議会事務局長・引佐町龍潭寺執事]
みそまんを通じて地域の特性を発信し、奥浜名湖へ多くの人が観光にきてほしい。

奥浜名湖地域で古くから庶民の味として親しまれてきた “みそまん”。いずれも味に自慢の12店舗のみそまんを、ひとつにパックした『奥浜名湖みそまん物語』を企画した武藤佑吉さんが、今月の元気人です。




武藤さんが事務局をつとめる奥浜名湖観光連絡協議会は、引佐、細江、三ヶ日の3町の25の観光施設が集まって、奥浜名湖の観光事業の活性化をはかるもので、浜松市の合併をきっかけに、05年の3月に発足しました。武藤さんを中心に、最初に企画されたのが、『みそまん物語』。

この地域のまんじゅう店や和菓子店でつくられている “みそまん“を集めて詰め合わせたもので、イベントなどで限定販売したところ、企画そのもののユニークさもあって、おおいに注目を集めました。


  歴史と文化に育まれたみそまん  
 

写真:武藤さん奥浜名湖は、歴史と文化が集積している地なんです。その歴史と文化に、ある意味で育まれてきたのがみそまんなんですよ。ここでのルーツを調べると、明治40年頃にさかのぼります。奥山の半僧坊には当時『半僧坊の講』があって、みんなわらじを履いて大谷街道の峠を越えて半僧坊にお参りしたんです。その道すがらに求められたものが、街道沿いの茶屋のおまんじゅう。そのまんじゅうの皮の色が、みそに似ていたので、“みそまん”と呼ばれたという記録があるそうです。

以来、この地域では、お寺の法事など仏事の引き出物に、いまでもみそまんが使われているんですよ。みそまんは、この地域のみなさんの生活に根付いているものなんです。ご夫婦だけでやっている小さなお店が多いんですが、ずっと続いてきているのは、そういうことなのだと思いますね。

連絡協議会を旗揚げしたときに、「何かやろう」と。この地域の特性をひめたもの、ここにあってこれしかないというものにスポットを当てようとみんなで考えたときに、みそまんがあるじゃないかとなった。いままでは、3町の間に垣根がありましたが、浜松市に合併してそれもなくなりました。それで、みそまんをまとめてみたら面白いんじゃないかということになったんです。今年の春に、まず私どもの一周年記念イベントで200パックを限定で売り出したところ大変に好評をいただきました。その後も浜松市のイベントなどで何度か販売しましたが、いつもすぐに売り切れます。

 

『みそまん物語』には、3町でみそまんをつくっている12店のみそまんがひとつずつパックされています。ひと口にみそまんといっても、味も形も包装もさまざま。各店の自慢の味を一度に味わえることも、話題になった理由です。残念ながら、いまのところ常に用意することはできませんが、11月30日に遠鉄百貨店の地階“遠州グルメ”のコーナーに8個入りが限定販売される予定。また、来春からは、龍潭寺の売店で常時販売する計画を進めています。

  どのお店も「ウチが一番」と  
 

写真:武藤さん私もすべてのお店のみそまんをいただきましたよ。実は私は辛口なもんだから、なかなか普段はおまんじゅうは食べないんですけどね。でも、みそまんはどこのも、素朴でなつかしくて、おいしかった。ひと口にみそまんといっても、本当に味も形も製法もいろいろ。皮に味噌を入れる入れないも、お店によってさまざまなんですよ。12個すべてそのお店の個性が出ています。もちろん、どのお店も「ウチのみそまんが一番」と思っています。個性あるみそまんを食べ比べるのは、私も楽しかった。でも、足並みを揃えていただくのには大変でした。

ほとんどがご夫婦でやっているような小さなお店ですし、本当にひとつひとつを手作りしているので、大量生産ができません。たとえば300個をつくるには、朝3時から仕込まなければならない。みそまんを蒸してから、冷まして包装するので手間も時間もかかるんです。その負担をおってくれたお店の方の協力があってできたことですが、まあ、私が龍潭寺の者だということで、協力してくれたということもあったかもしれません。仏事の引き出物として大事にしてくれたんだし、「お寺さんが言うなら、仕方ない」というところじゃないでしょうかね(笑)。

おかげさまで、いろいろなメディアに取り上げていただきました。この『みそまん物語』というネーミングと、売り方のアイデアそのものを譲ってくれないかというお話しもありました。でも、私たちは、変な色気があってこれを企画したわけではありません。みそまんを通じて地域の特性を発信して、奥浜名湖になるべく多くの人に観光にきてもらうということが目的です。そういう趣旨も、お店の方たちは理解してくださったと思います。みなさんの努力のかいがあって話題になったのは、とてもうれしいことですね。

写真:みそまん物語もともとあったものを集めただけなんですが、こんなに力を持つとは、私も思ってもいませんでした。でも、あとから言われましたが、特徴ある素材を組み合わせることが、地域ブランドを発掘する手法にかなっていると。単品では話題にならないけど、集めてみるとこんなに注目されるのですから、不思議なものですね、人間の心理は。

ただ残念なことに、常時用意することはいまのところできないんですよ。なるべくお店の方の負担は軽くしたいので、つくっておいていただいて、あとは私たち事務局の者が集めてパックをしているんですが、それにしてもお店の方は大変ですからね。でも、観光素材としては、やはり常時あるのが望ましいし、大切です。ですから、6個でも8個でもいいから、来春から龍潭寺の売店で『みそまん物語』を販売するようにしたいと思っています。

 

武藤さんには、もうひとつの肩書があります。それは龍潭寺の“執事”。実は武藤さんは、僧名を持つお坊さん。現在の龍潭寺の住職のおとうと弟子なのです。観光連絡協議会の活動の裏には、子供の頃から暮らしてきた寺と、第2のふるさとである奥浜名湖に対する思いがあます。

  変わらないものが与える癒しを大事にしたい  
  お寺の“住職”というのはみなさん知っているでしょうけど、“執事”というのは聞いたことがないのではないでしょうか。簡単に言うと、お寺の観光に関する企画、お寺の渉外関係の部分を任されているという感じですね。お葬式や法事なと、仏事に関わることは直接はお世話しませんが、その他のこと、このお寺にいかにみなさまに来ていただくか、いかにみなさんに喜んでいただける場所にするか、演出やPRを担当していると言えば、おわかりいただけるでしょうか。

私は、このお寺で育ったんです。生まれは東京ですが、両親を空襲で亡くして、8歳のときにここに預けられて出家しました。それからはお経を習ったり、水をくんだり、薪をわったり、畑をたがやしたりして修行して、僧名もいただきました。

昔は、周辺の田んぼは見渡す限り龍潭寺のものでした。しかし、農地改革で田んぼをすべて失って、お寺の経営は苦しくなりました。檀家も少ないし、自分たちで食べないといけないというので、馬車馬みたいに働きました。でも、現金収入がない。兄弟子のいまの住職が、このお寺をやっていくということでしたから、私は外から支えになればという気持ちもあって、就職したんです。まあ、どうも性格的にお寺でおとなしくしていることができない人間だったというのもあるんでしょうがねえ(笑)。

地元の学校を卒業したあと、ひょんなことで、国鉄の入社試験を受けたら受かってしまって、国鉄マンになりました。赤い帽子の駅長さんを目指していたら、適正検査の結果、機関士になりました。思ってもいないことでした。

そのあと、少し組合関係の仕事や静岡県の協同組合の理事長などもやって、65歳のときにこの寺に戻ってきて、執事になったんです。それが花博開催の前の年。これからは奥浜名湖の観光にお役に立てればと思い、協議会を立ち上げました。さいわい、国鉄や静岡県の協同組合の時に築かせていただいた人脈もあった。それが今、支えになっています。ありがたいことです。

写真:武藤さんお寺というのは、日常的に人に来ていただくところだと、私は思っています。仏事、葬式のためだけにお寺があるのではないんです。生きている人が、心をきれいにする場所、生きていく上で必要な場所なんです。江戸時代には寺子屋といって、読み書きそろばんをお寺が教えた。そうやって、お寺が人をつくってきた。この地域は、歴史と文化の宝庫ですから、いいお寺さんがたくさんあります。そこにぜひ、足を運んでいただきたいし、運んでいただくために、これから努力したいと思います。

このあいだお寺の周りを掃除しながら、私は、おいでになった方にうかがったんです。「なぜ、お寺に来られたのですか」と。そうしたら、「お寺さんの自然の庭の美しさに癒される」と。いろいろな方のお話を聞いて感じるのは、結局、人は寺の庭に代表されるような変わらないものに安らぎを覚えるのではないかということですね。世の中は激しく変化しています。そのなかで庭石は、旧態然として、守り続けている。そういうものに対する憧れ、癒しを求める心が、人間の芯のなかにあるのだと思います。新しい浜松のなかで、ここは奥座敷のようなところです。人々の心を安らぎと癒しでおもてなしする奥座敷としての魅力を磨いていきたいですね。

そういえば、みそまんもずっと変わらない素朴な庶民の味ですよね。時代に対するノスタルジアだけではなく、みそまんをおいしいと感じるなかにも、癒しの原点のようなものがあるのではないでしょうか。そういうものを、私は大事にしてあげたいと思っています。

 


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